新潟柔道闘魂列伝③旭化成 西潟健太 〜ハイパーゴリラ!安田が生んだ獣人ビッグフット〜
前回に引き続き、
僕の故郷・新潟での柔道界に名を残す柔道家に照準を合わせていきます。
何を隠そう僕は中学生時代に柔道部に所属していました。
多感な時期ということもありますが、
柔の道を歩み続ける中で経験できたことは
間違いなく今の僕を形成している大事な一部分でもあり、ルーツの一つだと感じています。
例えば、
① 現実や勝負への厳しさ、
② 目標に向けて努力すること、
③ 半殺し上等!生死の危機を乗り越えるパワハラ耐性、
など生きるための力を身につけることができました。
このシリーズは、
そんな僕を形成してくれた
新潟柔道界を彩る最強柔道家たちをご紹介していきます。
彼らが残す闘魂が未来の柔道家達に伝承される一助になればと思います。

シリーズ3回目は、この方!
旭化成 西潟健太選手

西潟さんは旭化成所属の獣人柔道家です。
6年前(2016年)に引退されたようですが、
実業団団体、個人 優勝
全日本体重別選抜 優勝
講道館杯準 優勝
全日本選手権 ベスト8入賞
全ての階級が100kg超、無差別級というハンパない怪物でして。
全盛期は193cm130kg超えという超人を超えた獣です。
もはやここまでいくと、人類の枠組みを超えた別の生き物。
霊長類ヒト科最強を争う神の領域に踏み入れた神々しい方です。

キャリアも
新潟・安田中を卒業されたら桐蔭→国士舘→旭化成
という柔道エリート街道まっしぐらです。
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/04/05/kiji/K20150405010113850.html
https://www.nikkansports.com/sports/news/1468720.html
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/394871/
西潟さんは怪物・七戸龍選手(世界選手権金メダリスト)にも
連勝していることから、
西潟さんは、監督陣へのゴマすりがもっと上手ければ
国際大会の代表になり、世界選手権、もしくはオリンピックの切符を手にしていたかもと、
勝手な妄想をしている柔道関係者もいたのではないでしょうか。
ここで、我が新潟の引っ込み思案な県民性が関係していないことを祈ります。
ご本人的には新潟を出てから一気に活躍されたので、
新潟との縁はそこまで強くないと思いますが。。。

格闘技界で西潟さんを表すと
日本人選手では器を抑えきれず、
外国人選手だとUFCヘビー級で一時代を築いた
アントニオ・シウバ選手ですかね。

シウバ選手も身長193cm体重119kg
西潟さんを少し小さくしたくらい。
シウバはUFC史上最高の殴り合いをしたことがありましたが、
西潟さんも違う進路を歩んでいたら、↑こんな熱い試合してたかもしれないですね。
さて、
僕は西潟さんの一つ学年下なので、
西潟さんが新潟の安田中にいた時、
新発田カルチャーセンターの合同練習でよくお見かけしていました。
中学生当時からとにかくデカい。
多分190cm近くあったんじゃないのかなー
西潟さんはメガネを掛けていて、
カルチャー柔道場の2mくらい高さの窓の縁に置いていたことが印象的です。
そんな2mくらいの高いところにメガネをおける人種は先生方含めて皆無でしたからね。
ちなみに前回書いた五十嵐さんと同じ安田中でして、
五十嵐さん同様、西潟さんも普段は温厚ですが、
一度柔道着に袖を通すと、相手が100kg超える選手だろうが、
獣らしい圧倒的なパワーで相手選手をなぎ倒し、ブン投げていました!
当時から新潟の中学生では相手になりませんでしたね。
ファイトスタイルはゴジラが襲ってくるような印象。
組手はしっかり組み、崩しはしっかり崩し、技は最後まで掛けきるなど
徹底された基本の上にゴジラな強さが光っていました。
西潟さん、五十嵐さんがいた安田中学校及び、スポーツ少年団出身の選手は
当時からは勿論のこと、社会人になっても勝ち続けられる選手を輩出していることから
指導者が本質を見極められる方なんだなぁと考えられます。
他のスポーツでもそうですが、
中・高校生の時は強くても大学・社会人で伸び悩むor潰れていく選手は沢山います。
それは技術的なこともありますが、精神的なことも含めて。
この二人が活躍を見ると、
徹底された小・中学での基本・基礎が後の栄光に貢献されたのではないかなぁと
オジさん柔道愛好家の僕として分析しています。
どんなに強くなっても奢らず、足元をしっかり踏みしめた
ご本人たちの姿勢が大きく関係されていたはずです!
何事も基本が大事!
そして、謙虚な姿勢が大事!
そんなこんなでシリーズ3回目は以上となります。
あー久々に柔道したくなってきたなー
やぁー!!