新潟柔道闘魂列伝②阿部塾 阿部高広塾長 〜新潟柔道界歴代最強のパウンド・フォー・パウンド〜

前回に引き続き、
僕の故郷・新潟での柔道界に名を残す柔道家に照準を合わせていきます。
何を隠そう僕は中学生時代に柔道部に所属していました。
多感な時期ということもありますが、
柔の道を歩み続ける中で経験できたことは
間違いなく今の僕を形成している大事な一部分でもあり、ルーツの一つだと感じています。
例えば、
① 現実や勝負への厳しさ、
② 目標に向けて努力すること、
③ 半殺し上等!生死の危機を乗り越えるパワハラ耐性、
など生きるための力を身につけることができました。

このシリーズは、
そんな僕を形成してくれた
新潟柔道界を彩る最強柔道家たちをご紹介していきます。
彼らが残す闘魂が未来の柔道家達に伝承される一助になればと思います。

前回の記事はこちら↓

それでは、シリーズ2回目にご紹介する超人柔道家はこちらの方です!

阿部塾 阿部高広塾長

阿部先生は、新発田南高校で開催されている
柔道教室『阿部塾』の塾長です。
そして、
新潟どころか日本の柔道界において知る人ぞ知る最強の柔道家の一人でもあります。
現役時は、新発田高校の教職をされながら
30歳で講道館杯を優勝したヤバい柔道家です。

https://www.judo-ch.jp/result/koudou/men1980.shtml
これまで新潟出身でオリンピックに出場したり、強化選手に選ばれたりする選手はいましたが、
新潟を拠点に、ここまで実績を残された柔道家は阿部先生しかいないのでは?
今で言うと、ALSOK、旭化成、パーク24など在籍選手は仕事はせず柔道に専念できる環境が与えられます。
そんな環境とは打って変わって、
阿部先生は片田舎の教職しながら日本一になるというトンデモない伝説を作られました。
今もそうですが、新潟は他の地域と比べると柔道のレベルは高くなく、
練習相手にも恵まれる環境ではありません。
その中で、何度も挑戦し続けて講道館杯を優勝された勇姿を聞くだけで
同じ新潟、新発田市出身者として鼻が高くなります。
新潟市にある競技場ビッグスワンにて阿部先生が殿堂入りされているところを見ると、
新潟で活動していた柔道家の中での歴代パウンド・フォー・パウンドに異論はありませんよね。

ちなみに野瀬清輝先生(京ヶ瀬中学校出身・ロサンゼルスオリンピック銅メダリスト)と
阿部先生は高校生時代(新発田高校)先輩後輩の間柄ということらしいですが、
この世代の新発田高校柔道部がとんでもない怪物達を生み出しているとのことで、
当時は、どんな練習をしていたのか考えるだけで恐怖を感じるのは、
僕だけではないはずです。

さて、
こんな阿部先生ですが、
選手を引退してからがハンパない。
僕は高校生の時、半年間くらい柔道部に所属していました。
その時の顧問が阿部先生でした。
ここで色々書くと怖い事になりそうなので省きますが、
最強の生物 範馬勇次郎が実際いたらこんな感じなんだろうなーと

高校生ながら感じていました。

何が凄いって、
当時50歳にして、強豪大学生や現役国体選手をボッコボコのボロ雑巾にしていましたからね。

前回の五十嵐さん同様、
各所からヤバい噂を耳にすることも結構ありまして。
世界柔道銀メダリスト金丸雄介選手から一本取ったり、
井上康生(現・全日本監督)の全盛期時に乱取り(スパーリング)の相手ができたり、
空手チョップで会議室の長机を真っ二つにしたり、
土木科の不良をチョークスラムしたりなど、

どこまでが本当なのかはご想像にお任せしますが、
間違いなく50代時にて、新潟県最強オヤジの座についていたのではないでしょうか。
何せ、朝から南高(新発田南高校)の外周をとんでもないスピードで爆走し、
時間があればトレーニングルームに入り浸り、バーベルがしなるくらいの重量をガッシャンガッシャン上げていましたからね。
今や、そんな超人アスリートはゴールドジムくらいにしかいないっすよ。


昔は、街の不良達のオヤジ狩りが流行っていたらしいですが、
阿部先生に挑む勇敢な若者はいなかったでしょうね。

そんなこんなで、
たまーにネットサーフィン時に阿部塾を訪れ、

http://abejyuku.blog108.fc2.com/
優しくなった阿部先生の笑顔を見ることが何よりの癒やしになっているのは
僕世代の新潟柔道部出身者あるあるなのではないでしょうか。

この幸せな笑顔を見ると、
僕も阿部先生のように超人のまま年を重ねていきたいものだなぁと
シミジミ思います。
つけ麺特盛にハマってる場合じゃないですね。
ふぅー

それではシリーズ2回目はこれにてお開きにします。
次回のシリーズは獣人 柔道家の異名をもつあの選手について書いていきます!